訪問販売&紹介営業のプロ、営業マン育成の専門家

大阪府箕面市出身。群馬県在住。
趣味は、仕事(営業)・数字の計算、ゴルフ、カラオケ(人前で歌うこと)、愛犬のショコラと遊ぶこと。
目次
著者 高橋良尚のプロフィール
訪問販売&紹介営業のプロ、営業マン育成の専門家
競争馬の調教の仕事をやっていた私が、営業という仕事に飛び込むまでの背景
教師を目指していたら、競走馬の調教師を目指すことに
中学時代、私自身がヤンチャな性格だったわけもないのに、クラスや学校内で何か問題が起こるたび、「どうせお前(高橋)が原因だろ!」とすべて私のせいにされてきました。「絶対に違う!」と反論しても、先生方には聞き入れてもらえませんでした。
そんな日々が続き、「どうせ大人に何を言っても信じてもらえないんだなぁ・・・」と思うようになり、無駄な議論を避けるために、「やってもいないこともやっている」と認めるようになりました。
そんな中、高校1年生の担任の先生だけは、私自身のことを何があっても信じてくれました。この時の担任の先生の影響を受け、教員を志そうと思い、教員免許を取るために大学へ進学することになります。
大学時代 競馬に興味を持つ
ところが・・・大学に入ってから競馬に興味を持ち始め、趣味として馬券を買ったり競馬の勉強をするようになります。そして、大学4年生(私が22歳)の時、「24歳までなら騎手になれる試験が受けられる」という情報を耳にします。
当時22歳だった私は、「期限がまだあと2年ある」ということが分かると、教員の国家試験を目前にして騎手になるという夢を追うことにしました。
親に相談すると、「何のために大学へ行かせたと思っているんだ!」と当然の反対を受けました・・・。小さいころから何かをやりたいと言うたびに、親には「止めなさい」と反対され続けてきたので、騎手になる夢を追うことも反対されるだろうということは、予測はしていました。
「どうせ何を言っても大人は否定することから始まる人種だしな」と、中学時代の先生を通して培われた私自身の独断と偏見をもとに、「自分の決めたことはやり抜く!」という強い気持ち&「見返してやろう!」というどこか反発したい気持ちのみで、騎手の試験を受験することにしました。
結果、騎手の試験には合格しなかったのですが、当時お世話になった調教師の先生が「騎手だけがホースマンの道じゃないぞ」と教えてくれたので、騎手の夢は叶わなかったのですが、先生に貢献したいという想いから、競馬会に残ることにしました。
担当する馬(自分以外の何か)の能力次第で稼げる金額が変わってしまう競争馬の厩務員の仕事
結果的に、競走馬の厩務員の仕事を12年続けました。ここで過ごした12年が、営業の仕事に就く動機として大きく影響していると思っています。
厩務員の仕事に携わってから知ったことですが、競馬という業界は、
- 年功序列の世界
- 馬の能力に頼った世界
- 両親が競馬関係者かどうかというコネの世界
という、自分だけの力ではどうすることも出来ない要素が大いに関係する業界です。
そんな世界に飛び込んだわけですが、コネもなく(両親が競馬関係者ということもなく)、走る能力が低い馬の担当にされることが多々あり稼ぎたくても稼げない状況に苦しみました。
走る能力が低い馬の担当に当たると賞金の歩合が低いため、走る能力が高い馬は、年齢が上の方が担当していました。つまり、どれだけ努力をしても自分の努力だけで改善できる部分が少ない仕事だったわけです。
営業の会社へ転職
子供が大きくなるにつれ、やりたいことをやらしてあげたいという気持ちとは裏腹に、走る能力が低い馬の担当ばかりあたるので、収入を得られない日々が続きました。
悶々とした日々の中で、「子供に選択肢を与えられない親はどうなのだろう?・・・もっと選択肢を与えられる親になりたい」と考えるようになり、自分の努力が報われる「営業の仕事」に転職することにしました。
営業の仕事は、
『100%自分の責任』
『100%自分の努力』
『クライアントさんの数を増やし契約の確率を上げると稼げる』
という非常にシンプルで分かりやすい仕組みです。
馬(他人)に頼るわけではなく、自分の努力が報われるという仕組みであれば、絶対に稼げる!と思い、35歳の時に太陽光発電の訪問販売の会社に入社しました。
営業の仕事について半年、人生で初めて月収100万円を超える
入社後、まずは研修生としてスタートしたわけですが、数字をあげていれば何をしても評価されるという環境がとにかく快適でした。
上司からは、「後から入社しても、どれだけ年上の相手でも、数字を出せばすべて黙らせることが出来る(自分の好きなように仕事が出来る)」と教わり、ひたすら結果を出すことに執着しました。
そして半年後の月収は、100万を超える収入を手にすることになりました。
12年勤めた競馬会で、月収100万など到底貰ったことのない収入を取ることが出来、わずか6か月の努力で成果が得られるという営業の仕事に対して、大きな可能性を感じることになりました。
ヘッドハンティングで別会社へ
しかし、入社して1年後、突然上層部がコミッション率(歩合の率)を下げると言ってきました。まだ貰っていない歩合の分もすべて下げるという通達でした。それまで私にチャンスを与えてくれた上司や、私を受け入れてくれた会社に対して恩義を感じていたものの、「(根拠もなく)とにかく言うことを聞け!」という会社の姿勢に、私自身、疑問を持ちました。
そして、疑問を持ちながらも働いている中で、転機が訪れます。別会社の太陽光の責任者からのお話を受ける形で、ヘッドハンティングという形で太陽光2つ目の会社に入社することになりました。
誘われる際に1番響いた言葉は、「1度やらかした会社はどうせまた同じことをやるよ。だったら、今あなた(高橋)が勤めている会社ほどは大きくない弊社だけれども、大きくなるまでがチャンスだから、あなた(高橋)自身の力を試してみないか?」という言葉でした。
私自身ステップアップのタイミングだと思い、ヘッドハンティングの話を受けることを決めました。
環境が変わり、稼げなくなる時期も
太陽光2つ目の会社に入社後、本当の自分の実力を知ることとなります。圧倒的に前の会社よりも稼げなくなったのです。
理由としては、前の会社では、上司が良いアポを私に振ってくれて、事務をすることもあまりなく、商談のみに集中出来る環境が整っていたの対して、2つ目の会社では、自分でアポも取り、事務作業も行い、商談もするという流れになったからでした。
このままでは良くないので、私自身の営業の師匠とも呼べる方から、営業をもう1度1から教えて頂くことにしました。どのように教えられてきたか?という部分は、今後ブログにてお伝えする予定です。
私は教えの通り動き、1週間に18人の面談アポイントを1年間繰り返し行いました。努力(諸々のプロセス)を継続した結果、前の会社の売り上げと収入を超えることが出来るようになりました。
信じていた師匠に裏切られることに
ところが、根気よく私を指導しくれていた&私自身も慕っていた師匠と呼べる方に、大きな嘘をつかれていたことが判明します。
師匠は「善意で仕事を教えているのであって、1円の報酬も貰ってない」と言っていました。(これが大前提)
当時勤めていた会社は、お客様からの入金サイクルの問題もあり、給料の遅配が当たり前のように起こる会社だったので、最初のうちは何か起きているなんて疑いもしませんでした。
しかし、売り上げをたくさんあげているのにも関わらず、給料支払いの遅延が多い為、さすがにこれはオカシイと思って経理に詰めよって話をしたところ、驚くことに、「毎月200万ものお金が無条件で優先的に師匠に流れており、その分、給料の遅延が起きている」ということが分かりました。
私にとって、かなり衝撃的なお話でした。「絶対に嘘をつくな!」「やったことは自分に必ず返ってくる!」と師匠から教わっていた私は、ショックで残念で仕方がありませんでした。
師匠の本性が現れだしてからは、開き直ったかのように言っていることがコロコロと変わり、師匠も、そして師匠を擁護している会社自体も、全く信用出来なくなりました。
そして、私自身、耐えかねる形で、会社を去ることにしました。
師匠と過ごした日々の中で教えて頂いたことも多いので、ある意味感謝はしています。きっと、師匠は、お金がなくなったことにより行動や言動が変わってしまった(おかしくなった)のであろうと推測しています。
もしも、「俺(師匠)もお前(高橋)のおかげで稼げているから、いつもありがとうな」という感謝の気持ち、感謝の言葉が師匠からあれば、まだ彼とパートナーを組ませて頂いていたと思います。
人生が大きく変わったきっかけ、大葉龍和氏との再会
稼ぐことにこだわり、数字のみを評価されてきた私は、売り上げを上げる事のみにこだわってきました。必然的に、価値観が偏ることになり、「自分より数字をあげられない人の言うことは聞かない」、「どんな手を使っても売り上げをあげる」という偏った考えを持つようになってしまっていました。
結果的に、イロイロな人が私の周りから離れていきました。
さらに、当時稼ぐことは出来ていたものの、子供や生活のためにすべてのお金をかけていた私は、「貯金はゼロ、税金の知識もゼロ」で、これ以上稼いでも税金も増えるばかりで生活も豊かにならないなぁ・・・という限界に来ていました。
そんな私ですが、10年前からの友人である「大葉龍和氏」と再会します。この大葉氏との再会が、大きく飛躍できるキッカケとなりました。(大葉氏のプロフィールはこちらから)
大葉氏と仕事をすることに
再会時に大葉氏から「自分が関わっているビジネスを手伝ってもらえませんか?」と提案がありました。稼いでも税金などに追われ、手取りが増えないと考えていた私は、大葉氏にその悩みをストレートに伝えました。
大葉氏から、「税金の悩みが解決できたら仕事を手伝ってもらえるんですか?」と質問され、「そんな夢みたいな事はないだろうけれど、税金の悩みが解決できるなら勿論手伝うよー」と回答しました。
この後の動きは早かったです。
大葉氏が、大葉氏の恩師でもあり上司でもある、㈱CPA Alliance代表取締役の黒松雄平氏を紹介してくれ、黒松氏のアドバイスもあり、私自身の会社「株式会社YNOコンサルティング」を設立することになりました。
お二人の知識があれば、稼ぐだけではなくて、しっかりとお金を残していけると理解出来てからは、自分自身の将来がとてもとても明るくなった事を今でも鮮明に覚えています。
一生一緒に仕事をしていくパートナーとの出会い
今までは、誰もが「私自身の売り上げからの利益をあてにする」、要は、「会社が利益を搾取する」という環境でした。
が、黒松氏と大葉氏は違いました。
逆に、私自身に利益を最大限払い出すという仕組みを作ってくれたのです。その結果、私の収入は大きく伸びていきました。
ただ、収入は伸びていったものの、今までの経験から「どうせ人は裏切るもの」という考えは抜けず、基本的には数字しか信じられない自分がまだまだ居ました。その為、環境を与えてくれた黒松氏や大葉氏のおかげで収入が伸びているのにもかかわらず、彼らに対しての感謝を忘れている自分が出来上がっていました。そして、またもや違う環境で自分を試したいと思うようになってしまっていました。
今でも忘れもしない、2017年8月。黒松氏と2人で話をさせて頂く機会がありました。その際に、私の価値観の矛盾点を、厳しく的確に、愛を持って指導して下さいました。
この時、「ずっとこの会社(黒松氏・大葉氏の会社)で頑張って良いんだ」と思えるようになりました。今まで自分の数字しか信じてこなかった私が、初めて、数字を上げて彼らに貢献していきたいと思えるきっかけとなった出来事でした。
私から皆さんへの約束
私自身、現場でずっと営業を続けてきた経験から、「どのような問題であったとしても、どうすれば改善していくのか?」という解決への糸口を発見&イメージ出来る力には優れているという自負があります。
特に、
- 「営業の結果が出せないことに対して悩んでいる方」
- 「根拠もなく営業に対して自信をなくしている方」
- 「営業は収益が安定しない仕事だと考えている方」
- 「もっと営業で稼ぎたいと思っているのに何故か稼げていない方」
こういう方々の改善・向上のお役に立てる自信があります。
何故今のような事態になったのか?を【分析して】【検証すること】により問題・課題を【解決】する。この「分析・検証」のやり方・考え方が大事になってきます。
昔、家庭教師のアルバイトをしていた時も不登校の子や勉強の仕方がわからない子を改善させることが得意でした。というのも、私自身、中学2年生の時に学校に行かなくなった時期があり、登校拒否になる子供の気持ちが良くわかるからなんですけどね。
要は、何が言いたいかと言うと、「普通の人よりも起きた結果に対しての分析・検証をする機会が多かった」ということが言いたいわけです。その分析・検証をしてきた経験を様々な出来事に当てはめているだけなので、原因→問題(悩み)→検証の流れからの逆算で解決の糸口を見つけたり、みんなに理解しやすいように言語化したりすることも得意です。
私自身、「約束は守るモノ」=「諦めず全力を尽くし続けること」と考えています。
私のことを信じて頂けるならば、「分析・検証」のやり方・考え方を元に、「営業で成果が出ないことに悩まれている方」の改善・向上のお役に立つことを約束します。
僕自身の使命・喜び
根っからの営業マンなので、仕事で喜びを感じる瞬間は、
◆分析・検証が出来て、プロセスや結果の根拠が出来たとき
◆一緒に仕事をしている仲間がコミッション(利益)を上げたとき
です。
そして、これからの自分自身の夢・目標は、年収1億円プレーヤーであり、
その為には私と一緒にパートナーとして仕事を共にする、年収1千万プレーヤーの営業のプロを最低10人は作ることです。
高橋良尚のちょっとした情報
大阪府箕面市出身
中学卒業後父親の転勤により松戸市へ転入
千葉県立流山北高等学校卒業後、日本大学理工学部土木工学科入学
家族構成
妻44歳 長男20歳 長女17歳 ショコラ(犬)6歳 5人家族(令和元年8月現在)
趣味
仕事、数字の計算、ゴルフ、カラオケ(人前で歌うこと)、ショコラと遊ぶ
好きな言葉
夢は必ず叶う、挑戦、諦めない、因果応報
大阪府箕面市出身。群馬県在住。
趣味は、仕事(営業)・数字の計算、ゴルフ、カラオケ(人前で歌うこと)、愛犬のショコラと遊ぶこと。